豊臣秀吉 1
豊臣秀吉 1
「豊臣秀吉 1」 山岡荘八著 講談社 読破

尾張中村で秀吉は生まれた。愛知かな。
幼名を日吉といった。
秀吉の父は織田家の足軽だったが怪我をして亡くなってしまった。
秀吉の母は織田家で茶坊主をしていた竹阿弥と再婚した。
竹阿弥も病気がちで茶坊主をしてられなくなったのだが、
秀吉の家の農地を買い戻してくれたみたいだった。
秀吉は小さい時からわんぱくで人の三倍は働いた。
染物屋で奉公していた時は色盲で色がわからず
人の三倍は働くので不良品も三倍は出した。
秀吉が色盲というのはフィクションのようだ。
染物屋から追い出されると竹阿弥やお寺のお坊さんが
秀吉に仕事を次々と見つけてきてくれた。
でも秀吉は二か月くらいたちだいたい仕事を憶えてしまうと
また他の仕事をやり始めた。
いろんな仕事をしたみたいだが皆二か月でやめてしまうので
地元ではとうとう働き口が亡くなってしまった。
秀吉には野望があった。
自分が天下を統一して戦乱の世の中をなくして平和な世の中にすることだ。
織田軍が美濃に攻め入っている時に秀吉の村を夜盗が襲った。
その時、自分が天下を取って戦いのない世の中にしようと誓ったのだった。
奉公先もなくなったので秀吉は諸国をまわって奉公口を探してみようと思った。
秀吉は竹ノ内浪太郎が通るのをまちかまえて1か月も橋の上にいたりした。
折よく野武士の蜂須賀小六と知り合って兄弟の盃をかわした。
野武士は南朝に味方したものたちで竹ノ内浪太郎というのは南朝の血筋のものらしかった。
秀吉は蜂須賀小六のもとで剣、槍、弓、馬術などの武芸を学んだようだ。
野武士の戦術なども学んだのかもしれない。
秀吉は一通りなことを学ぶと諸国をめぐることにした。
蜂須賀小六に餞別にお金をもらうとそれを針に変えて諸国をめぐることにした。
まず美濃に行ってみた。美濃の斎藤道三の街は繁盛していて秀吉の針も売れ行きが良かったようだ。
そこで若き明智光秀から女の人を駿河まで届けてほしいと頼まれる。
お金をもらってしまった。お春という女の人が現れて婿にされてしまった。
秀吉は尾張の細作と思われて、細作のお春を駿河に送ってくれるように頼まれたのだ。
お春は朝倉の細作だった。なんでも京に上洛できる人物を探しているらしい。
お春は今川義元、武田信玄などの情報が欲しかったようだ。
秀吉とお春は本当の夫婦のようになって今川家の松下嘉兵衛の屋敷でつかまった。
松下嘉兵衛の屋敷で奉公することになった。
そこへ武者修行をしている一行が屋敷にたちよった。
その中にお春の婚約者がいた。男がかってに思い込んでいるようだった。
そんな折に秀吉は武田家への使いを頼まれる。
お春は婚約者に見つかってしまった。おなかの中には秀吉の子がいた。
フィクションですか?はい、フィクションです。。。

2025/12/06 17:28 | 固定リンク | 歴史小説
秩父夜祭 屋台笠鉾曳回し
秩父夜祭 屋台笠鉾曳回し
https://youtu.be/XPvCqj2-H-g
屋台笠鉾の曳回しの動画も撮ってきました。

2025/12/03 18:32 | 固定リンク | 動画
秩父夜祭 曳踊り
秩父夜祭 曳踊り
https://youtu.be/gLvjnwKeJEY

今日は午前中に秩父夜祭を見てきました。
曳踊りを見てきました。


2025/12/03 18:28 | 固定リンク | 動画
逆説の日本史27明治終焉編
逆説の日本史27明治終焉編
「逆説の日本史27明治終焉編」 井沢元彦著 小学館文庫 読破

韓国併合について書こうと思うのだが朝鮮の李朝かな。
朝鮮は古くから中国の属国で、日本は日清戦争に勝つと朝鮮を独立させた。
リャオトン半島などももらったが三国干渉を受けて清に返した。
しかしリャオトン半島はロシアのものとなってしまった。
日本が朝鮮に兵を出さなければ朝鮮は中国かロシアのものとなっていた。
ロシアのものとなると次は日本がロシアに侵攻されるかもしれない。
日本は大変な危機感をもっていた。
それで日露戦争は起こった。
日露戦争に勝つと日本は朝鮮と満州の支配権をもらったのかな。
黄色人種の日本人が白人に勝ったことでアジアの人たちに大きな感銘を与えた。
韓国の人たちは植民地支配で韓国は日本に収奪されたと思っているみたいだが、
日本は韓国に日本本土以上のお金をかけてインフラ整備などをした。
道をつくり橋をかけ鉄道を通し学校や病院をたてた。
李朝の時代には学校はほとんどなかったが誰もが学校に通えるようにした。
福沢諭吉などが協力してハングルの言語を整えて教えた。
ダムや工場を作ったりした。
イギリスのインド支配においてインドは収奪されるだけだったが日本は違った。
でも朝鮮戦争が起こり韓国は荒廃してしまったのかもしれない。
全部日本のせいだと思ったようだ。
韓国は日本を嫌って日本が建てた建物を壊したりした。
日本は悪者になってしまった。。。
っというようなことはこの本には書いてないかもしれないけど私が思っていることを書いた。

2025/12/02 21:13 | 固定リンク | 日本史
新史太閤記 下
新史太閤記 下
「新史太閤記 下」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破

信長が明智光秀の謀反によって倒れた。
何故、明智光秀が謀反を起こしたかはこの本には書いてなかった。
その時、秀吉はどうしたかっということが書いてあったのみだ。
秀吉は毛利の備中高松城を水攻めにしていた。
秀吉は訃報を聞き、すぐ毛利と和睦して中国大返しをおこなった。
誰も明智光秀も毛利と戦っていた秀吉が戻ってくるとは思わなかった。
柴田勝家は北陸で上杉と戦っていて、
滝川一益は群馬あたりを拠点にして北条と戦っていた。
秀吉は四国に渡ろうとしていた丹羽長秀と織田信孝と合流して、
天王山あるいは山崎の合戦で明智光秀に勝った。
秀吉が明智光秀に勝ったからといって簡単に天下は秀吉のものにはならなかった。
織田家相続争いで清須会議が開かれた。
織田家では長男の信忠も亡くなってしまったので
織田家継承者には信孝、信雄、信忠の長男の3才の三法師などがいた。
織田家筆頭家老の柴田勝家は織田信孝を推した。
一方、明智光秀を破り天下を自分のものにしたい秀吉は三法師を推した。
光秀を破った功績の大きい秀吉の意見が通り三法師が織田家を継ぐことになった。
三法師を抱いた秀吉が出てきて三法師あるいは秀吉に皆が頭を下げることになった。
皆、居城に帰っていった。
柴田勝家は信孝のすすめで市姫を妻にもらった。
秀吉は悔しかっただろうが市姫の娘の茶々(淀君)を自分のものにして満足しただろう。
秀吉は柴田勝家を賤ケ岳の戦いで破り勝家は自分の城で市姫とともに自害した。
前田利家の娘と市姫の三人の娘は助け出された。
柴田勝家も人質をころすようなことはしなかったのはさすがに筆頭家老だと思った。
賤ケ岳の戦いで柴田勝家派の前田利家は退却してしまい戦闘には参加しなかった。
前田利家と秀吉は美濃時代から長屋が隣同士だったりして仲が良く、
利家の妻まつと秀吉の妻ねねも仲が良かった。
利家はこれで秀吉から加賀100万石をもらった。
加賀では一向一揆が激しく100年間くらい百姓の持ちたる国になっていたかな。
利家も苦労したんじゃないかと思う。苦労したのは柴田勝家かもしれないが。
その後、織田信雄は信孝を追い込んで切腹させ、家康に助けを求めた。
ここに秀吉vs家康の小牧、長久手の戦いが始まる。
秀吉は中入りといって敵の本拠を奇襲する作戦に出たが、
小牧城を密かに出た家康は中入りした秀吉軍を全滅させてしまった。
秀吉が気づいた時には家康は小牧城に戻っていた。
完全に秀吉は家康に負けた。
ところが織田信雄は秀吉に本拠の伊勢を攻められ和睦してしまった。
家康は戦う意義を失い退却した。
ひと悶着あったが秀吉は家康に官位を贈ったりした。
家康は於義丸を人質に送ったが上洛はしてくれなかった。
於義丸はのちの結城秀康である。
秀吉は妹の44歳の朝日姫を離縁させて家康の元に妻として送ったが
それでも家康は上洛してくれない。
秀吉は自分の母を家康の元に送り、やっと家康が上洛してくれた。
秀吉は会見の前の日に家康の元に行き、
明日は尊大な態度をとるが慇懃な礼をしてもらいたいと頼んだ。
家康ほどのものも秀吉に頭をさげれば皆も秀吉に心腹するというものだ。
家康もここまででてきた以上は承知した。
その会見で家康は秀吉にその陣羽織を賜りたいと申し出た。
もう戦いは私に任せて下さい。秀吉様にもう苦労をさせませんと。
これも秀吉がしくんでおいた演技だったのだが。
家康が上洛してくれたところでこの本も終わっています。

2025/11/29 22:28 | 固定リンク | 歴史小説
JK V
JK V
「JK V」 松岡圭祐著 角川文庫 読破

主人公の有坂紗奈は、江崎瑛里華という名前も持つ。
そしてなんとJKに優莉匡太が登場。
有坂紗奈は優莉匡太の元に落ちていく。
闇落ち。セフィロスのようだ。
はじめから優莉匡太がしくんだものだったんだろうな。
優莉匡太が、いい人なのか悪い人なのかわからなくなってきた。

2025/11/28 19:12 | 固定リンク | 未分類
新史太閤記 上
新史太閤記 上
「新史太閤記 上」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破

秀吉の名前は日吉、木下藤吉郎、羽柴秀吉、豊臣秀吉などあるのだが
統一して秀吉で書こうと思う。尾張の生まれだ。
秀吉の父は織田に使える足軽だったが若くして死んでしまい、
秀吉の母は竹阿弥(ちくあみ)と再婚し弟、秀長を生んだ。妹は誰の子だったかな?
秀吉は竹阿弥とはうまくいかず寺にあずけられた。
寺では読み書きそろばんを習ったのかもしれない。
秀吉は寺ともうまくいかなかったのか、
父が残してくれたお金を針にかえ針売りなどをして
美濃や東海などをまわったらしい。
秀吉は尾張の信長がうつけと聞いて、
その頃評判が良かった今川家の松下嘉兵衛(かへえ)という人の屋敷に仕えた。
でに秀吉は仕事ができすぎるのでいやがらせを受け尾張に帰る。
尾張に戻ると信長に士官した。っといっても父の後を次いで足軽になった。
でも秀吉は信長様に仕えたいと信長の草履取りなどをしたようだ。
その頃に今川義元が上洛戦をしかけてきたのだろうか。
尾張の砦を次々に落とし破竹の勢いだった。
だが今川義元は太っていたり足が短かったため馬にはのれす駕籠を使った。
駕籠にもずっと乗っていることはできず休みも多かった。
今川義元は桶狭間で休んでいるという。
信長は城を飛び出した。一気に桶狭間を急襲し今川義元を討ち取った。
ちょうど雷雨があったと伝える本もある。
第一の手柄になったのは今川義元を討ち取った者ではなく、
今川義元が桶狭間で休んでいると伝えた人だった。
この時、家康は今川の人質にされていたが今川の武将が退却してしまったので自分の岡崎城に入れた。
信長と家康はこの時同盟を結んだ。
秀吉がねねと結婚したのもこの頃だろうか。ねねはまだ13歳だった。
ねねは浅野家の養女で秀吉はよく浅野家の世話になっていたようだ。
秀吉はメシの煮炊きをする木材の奉行を勤め成果を上げたり、
城の石垣が崩れたので秀吉が奉行をまかされ成果を上げたりした。
秀吉が弟の秀長を呼び寄せたのもこの頃かもしれない。いつ頃だろう?
信長は美濃を取ろうとするがいつも撃退されてしまっていた。
川向うの墨俣に城を築こうとするが誰もできなかった。
ここで秀吉に出番がまわってきた。
秀吉は墨俣に城を築くことに成功した。
秀吉は放浪していた頃に知り合ったのか蜂須賀小六などの野武士を
うまく使ったといわれている。
それから秀吉は美濃の武将の調略に成果を上げたとされている。
竹中半兵衛なども秀吉の軍師となった。
ついに信長は美濃を取った。美濃を岐阜と改めた。
その頃、落ちぶれた室町幕府将軍足利義昭が信長を頼ってきた。
明智光秀が仲を取り持ったといわれている。
近江の浅井家に妹のお市を嫁がせた信長は一気に京を占領してしまった。
足利義昭は信長に副将軍になってほしいと頼むが断られる。
信長は何の官位も望まなかったが堺などの街の支配権をもらった。
信長は越前の朝倉領に攻め込んだが浅井にそむかれ退却した。
しんがりを秀吉が勤めた。家康の退却も遅かったので一緒にしんがりを勤めたようだ。
姉川の戦いでは信長家康が浅井朝倉を破った。
秀吉は浅井の攻略をまかされついに浅井の城を落としお市と茶々など3人の娘を救出した。
信長は近江20万石を秀吉にまかせた。
武田信玄が亡くなったのはいつ頃だったかな。
信長は長篠の合戦で武田勝頼の騎馬隊を鉄砲の力で勝利しました。
脅威だった上杉謙信なども卒中で亡くなってしまった。
秀吉は毛利攻めをまかされていて、黒田官兵衛を軍師に迎えた。
黒田官兵衛は大変苦労したようだ。敵城の地下牢に1年間くらい入れられたり。
信長は黒田官兵衛が裏切ったと思い子供を殺す命令を出したが、
竹中半兵衛は殺したといつわって保護した。
竹中半兵衛も病気がちで亡くなってしまった。

2025/11/23 19:52 | 固定リンク | 歴史小説
秩父ミューズパークもみじ
秩父ミューズパークもみじ
秩父ミューズパークもみじが見頃になってきました。
梅園下から旅立ちの丘ではない展望台へ行くところです。
https://youtu.be/kN-IpLNFRwM

2025/11/15 12:37 | 固定リンク | 動画
逆説の日本史26明治激闘編
逆説の日本史26明治激闘編
「逆説の日本史26明治激闘編」 井沢元彦著 小学館文庫 読破

日露戦争を特に扱っています。
司馬遼太郎さんの坂の上の雲は読みました。
NHKの坂の上の雲のドラマも見ました。
それでこの本も結構理解できたと思います。
日露戦争で日本軍は脚気に苦しみました。
白米を食べていた陸軍に脚気は多く、
海軍は麦飯を食べていたため脚気は出ませんでした。
脚気になるのはビタミンの不足によるものだったそうです。
日本の医師だった森鴎外はそれがわからず、
たくさんの日本兵が脚気で亡くなりました。
森鷗外は日本兵にはただ白米を食べさせてやりたいと思っていたのかもしれません。

2025/11/14 01:56 | 固定リンク | 日本史
今日のいちょう並木
今日のいちょう並木
今日のミューズパークいちょう並木
2025年11月8日(土)
そろそろ見納めとなっております
https://youtu.be/g8cBRQu-IWk

2025/11/08 14:59 | 固定リンク | 動画