新書太閤記 3
新書太閤記 3
「新書太閤記 3」 吉川英治著 講談社 読破

桶狭間で今川義元を破った信長は次は美濃を取ろうとする。
川向うの美濃の墨俣に城を築こうとすると誰もできなかった。
秀吉が蜂須賀小六などの野武士を使い墨俣に城を築くことに成功した。
それから美濃の武将を調略していく。
斎藤道三から義龍から龍興と続いてきて
龍興になると毎日女をはべらせて酒ばかり飲んでいた。
だんだん家臣も出仕しなくなってきた。
竹中半兵衛が龍興をいさめるためにたった十数名で稲葉山城を奪ってしまった。
信長は美濃を半分くれるから稲葉山城を引き渡せといったが聞き入れなかった。
竹中半兵衛は龍興に城を返すと美濃の奥地に隠棲してしまった。
秀吉は何度も竹中半兵衛の元を訪れて三顧の礼で軍師にむかえた。
あとは稲葉山城を落とすだけとなった。
秀吉は稲葉山城の裏手から侵入することに成功しのろしを上げた。
ふもとから信長が全軍で攻めてくる。
城の裏手から火の手が上がったので裏切者が出たと思って同士討ちを起こしたりした。
信長は城を落とし美濃を岐阜とあらためた。
稲葉山城は岐阜城となった。
そうすると明智光秀が足利義昭をともなって岐阜にきた。
信長は速攻で京に攻め上がり室町幕府将軍足利義昭の館を建てた。
朝廷の館なども手直ししたようだ。
京都奉行を秀吉が任されたりした。
三好は松永は逃げてしまったが信長が岐阜に帰るとまた出てきた。
そういえば浅井に嫁がせた市姫のことは書いてなかった。
信長は朝倉を攻めたが浅井に後ろを突かれ京に退却した。
しんがりを秀吉がした。

2025/12/22 21:08 | 固定リンク | 歴史小説
新書太閤記 2
新書太閤記 2
「新書太閤記 2」 吉川英治著 講談社 読破

お城の石垣が崩れて20日たってもなおせないことから
秀吉は3日でなおすといってお金もあまりつかわずになおせてみせた。
これは信長も秀吉がツカエルと思って30人を率いる足軽の組頭にした。
寧々をめぐり前田犬千代(利家)とひと悶着があったが
犬千代はとある人を斬ってしまったことから信長から破門されてしまう。
犬千代は寧々を頼むと秀吉に言って去っていった。
寧々の方も秀吉に応じてくれた。
秀吉は美男ではないが天下を取ったくらいだからオーラみたいなものがあったのだろう。
キリョウが良かったのかもしれない。
そんな折、東海の今川義元が2万5千人で尾張に攻めてきた。
尾張、名古屋の兵は2千5百人で10分の1しかない。
信長は今川義元を油断させるために籠城にみせかけていたが、
今川義元の本陣が尾張に近づくと一気に討ってでた。
今川義元の本陣を急襲するのだ。
信長の最前線の砦は今川勢に落とされている。
今川義元は余裕ぶっこいて桶狭間あるいは田楽狭間で幕を貼って休んでいた。
そこへ信長が討ちいって今川義元の首を取った。
秀吉の30人の部隊は17人になっていたが秀吉は無事だった。
前田犬千代も敵将の首を取り信長は許してくれた。
信長は岡崎の松平元康(家康)と同盟を結び尾張は安全になった。
秀吉と寧々は結婚した。犬千代が祝ってくれた。
美濃では斎藤道三の息子義龍が死んだらしい。
信長は一当りしてみようと美濃に攻め込もうとする。
寧々がすばやく秀吉のヨロイ一式を用意してくれた。
この寧々のためならっと思う秀吉だった。

2025/12/20 18:59 | 固定リンク | 歴史小説
新書太閤記 1
新書太閤記 1
「新書太閤記 1」 吉川英治著 講談社 読破

日吉(秀吉)はいろいろなところに奉公に出たが
皆2か月くらいしかつとまらなかった。
家では母の二人目の結婚相手の義父とうまくいかず、
日吉は大きくなると家を飛び出した。
針売りをして美濃、東海、甲信などをまわったようだ。
どの本にも針売りをしたことが書いてあるので針売りをしたのは本当かもしれない。
美濃では野武士の蜂須賀小六正勝あるいは彦右衛門と知り合った。
東海では今川の松下嘉兵衛という屋敷で奉公したが皆にいやがらせを受け、
嘉兵衛は秀吉にお金を渡して防具を買ってきて欲しいと言った。
実際は暇を出してお金を渡したのだった。
尾張に帰ってきた秀吉は信長に士官を果たし、
名を木下藤吉郎とした。
台所奉行などもまかされるようになった。
馬屋番などもしていたかな。
秀吉は実家にも仕送りをしたりして、
秀吉の姉がキレイな服が着れて、「弟が、弟が」っとよく話していたそうです。

2025/12/18 20:04 | 固定リンク | 歴史小説
豊臣秀吉 8
豊臣秀吉 8
「豊臣秀吉 8」 山岡荘八著 講談社 読破

秀吉は44才の妹の朝日姫を離婚させると、
朝日姫を家康の元に嫁がせた。
ゲロゲーロな話だがこれで秀吉と家康は義兄弟だ。
しかしそれでも家康は上洛はしてくれなくて、
秀吉は自分の母を朝日姫に会ってきてくれと家康の元に送り
やっと家康に上洛してもらった。
これで東は安全になったので九州まで攻め入り島津を降伏させた。
そして東に転じて北条を降伏させると家康を東海甲信から関東に移した。
1590年のことで家康は1592年に前に武田信玄に焼かれた秩父神社を再建した。
左甚五郎作の龍や虎の彫刻は素晴らしいものがある。
日光東照宮は家康を祭ったもので左甚五郎作の眠り猫や三猿などがある。
奥州には伊達政宗が盛んだったが奥州まで平定して秀吉は日本を統一した。
伊達政宗は秀吉が北条の小田原征伐をしているときに降伏してきた。
ここまでが太陽の子秀吉の絶頂で晩年に入ってくる。
この先はなんか悲しくて書く気力もなくなるのだが、
明を征服しようと思って朝鮮出兵を2度行うが、
食料は現地調達できないし、李舜臣の海軍が日本の船を沈めていった。
そんな折、淀殿が秀頼を生んだ。
しかし月日を考えてみると秀吉の子ではないようにこの本にも書いてある。
でも半分は自分の子だと信じているらしく、秀頼を家督を継がせるために、
後継者とされていた姉の子の秀次を切腹させてしまう。
秀次の子女妻妾を何十人もすべて京都三条河原で斬首させてしまった。
それから秀吉も病気がちになり祟りかなとも思った。
秀吉は秀頼と家康の孫の千姫を結婚させると約束して、
秀頼のことをくれぐれ頼むと五大老、五奉行に言い渡し何度も誓書を取った。
秀吉の辞世の句は、
  露とおき露と消えぬるわが身かな
  浪花のことも夢のまた夢
秀吉が亡くなり朝鮮から撤収した。

2025/12/17 21:33 | 固定リンク | 歴史小説
豊臣秀吉 7
豊臣秀吉 7
「豊臣秀吉 7」 山岡荘八著 講談社 読破

織田信雄は織田信孝を自害に追い込んだ。
大阪城を築き織田家相続争いをだいたい制した秀吉だったが、
伊勢だか尾張の織田信雄は家康に助けを求めた。
家康はそれに応じて家康と秀吉が戦うことになった。
秀吉は美濃に出て行き、家康は小牧山を本拠とした。
秀吉軍は6万人で家康軍は2万5千人だったが家康にすきはない。
秀吉軍は中入りといって間道を通って家康の本拠の岡崎を突こうとした。
しかし中入りした部隊は長久手で家康によって全滅させられてしまった。
秀吉がそれに気づいて長久手にいった時には家康はどこかの城に入ってしまっていた。
その時、長久手で家康が秀吉を攻めていれば家康が勝ったとされている。
しかし家康は勝ちすぎてもよくないとしていた。
秀吉で天下が治まっているものを秀吉を倒してしまったらまた世の中は乱れる。
家康にはまだ天下を治めるほどの力がない。
秀吉を滅ぼしてしまったら今度は家康が袋叩きとなる。
というわけで小牧長久手の戦いは家康の勝ちに終わった。
秀吉はしかたがないので伊勢の織田信雄の城を攻めた。
織田信雄は秀吉と和睦してしまった。
家康は秀吉と戦う義理がなくなり岡崎から浜松へと撤退した。

2025/12/16 06:54 | 固定リンク | 歴史小説
豊臣秀吉 6
豊臣秀吉 6
「豊臣秀吉 6」 山岡荘八著 講談社 読破

市姫は柴田勝家の元へ妻に行くことになった。
信長の時代に決められていたようである。
秀吉に市姫をやるとねねが正室ではなくなってしまうから。
そういう配慮もできる信長だった。
市姫を好きだった秀吉はくやしかったことだと思う。
賤ケ岳の戦いで秀吉に敗れた柴田勝家だった。
柴田勝家とともに市姫は亡くなったが、
市姫の3人の娘は助け出された。
その3人の娘の長女茶々は秀吉の妻となる。
江姫は家康の嫡男の徳川秀忠の妻となる。
秀吉と中の良かった前田利家は柴田勝家の与力だったが
賤ケ岳の戦いで危なくなると速攻で退陣してしまった。
これで前田家は加賀百万石が約束された。

2025/12/14 22:36 | 固定リンク | 歴史小説
豊臣秀吉 5
豊臣秀吉 5
「豊臣秀吉 5」 山岡荘八著 講談社 読破

明智光秀の謀反によって信長は倒れた。
秀吉は毛利と和睦すると中国大返しをおこなって山崎の合戦で光秀に勝った。
毛利は秀吉が近畿を統一して帰ってくる男とみて追い打ちをかけなかった。
光秀は農民に竹槍でさされてシんだと伝わっているが
届いた首が光秀の首かはちゃんと伝わっていない。
秀吉は光秀の首としてさらしたようだが。
この本では光秀が生きている設定になっている。
家康に仕えた天海が光秀だという噂は有名だが。
織田家相続の清須会議が開かれ、柴田勝家が信孝を推し秀吉は三法師を推した。
光秀を破った秀吉に賛成するものが多く三法師に決まった。
秀吉は三法師を抱いて柴田勝家や皆に頭を下げさせた。
柴田勝家は怒った。秀吉vs柴田勝家の戦いがはじまる。

2025/12/12 20:27 | 固定リンク | 歴史小説
豊臣秀吉 4
豊臣秀吉 4
「豊臣秀吉 4」 山岡荘八著 講談社 読破

岐阜を手に入れた信長は天下布武をかかげた。
市姫を近江の浅井長政に嫁がせると、
信長はあっというまに上洛して京を占領してしまった。
室町幕府将軍足利義昭の館を建て、御所の建物も建て替えたようだ。
信長は足利義昭から副将軍になってくれといわれたが
信長にはあまりそういうものには興味がなかったようだ。
三好は淡路や四国に逃げ、松永久秀は降伏してきた。
松永久秀は将軍足利義輝をコロし、大仏殿を焼き払った極悪人だった。
何故か信長は松永久秀を許した。
朝倉攻めに使うには良いと思ったようだ。
信長は越前の朝倉を攻めるが浅井に背かれる。
市姫をやってるのに浅井にそむかれるとは思わなかった。
なんでも浅井は朝倉に恩義があるようだ。
信長は秀吉をシンガリに残して京へ退却した。
支援に来ていた家康もたまったものではありませんな。
信長は市姫を嫁がした浅井と戦うことになった。
秀吉に近江の長浜に城を築かせると浅井攻めを任せた。
浅井朝倉と姉川の合戦になるが勝ちを収めるが、
浅井朝倉は比叡山に逃げ込んでしまう。
信長は比叡山を焼いた。
最後は織田家家臣たちが浅井の城を力攻めして、
秀吉は浅井の山城の途中から攻め込んで成果をあげ、
市姫と茶々など三人の娘を助け出した。
浅井は滅んだ。
秀吉は北近江14万石を褒美もらった。家老の一人となった。
そして北近江には国友村があった。鉄砲を作れる人がいる。
しかし作れるのは一人で月に一丁、年に十丁しか作れないという。
秀吉は大量生産させ200人のものが鉄砲を作ることになった。
一日十丁、一か月で三百丁、一年三千六百丁を目標にした。
こうして鉄砲の数がそろうと武田勝頼に長篠の戦いで勝利した。
信長は近江に安土城を建てた。
秀吉はどこかへ移らなければならない。
秀吉は北陸の上杉と戦っている柴田勝家の援護にいったがケンカして帰ってきた。
人の下で働くのは良しとしなかったのだ。
信長は怒ったが毛利攻めをまかされた。
秀吉は竹中半兵衛は亡くなったが黒田官兵衛を軍師に迎える。
秀吉は備中高松城を水攻めしていたが。。

2025/12/10 19:52 | 固定リンク | 歴史小説
豊臣秀吉 4
豊臣秀吉 4
「豊臣秀吉 3」 山岡荘八著 講談社 読破

秀吉は何か月もかかってなおせなかったお城の石垣を
早く仕上げた組には報酬を出すといって競争させて10日で石垣をなおしてしまった。
その頃美濃攻めには川向うの墨俣に城を築かねばならなかったが、
佐久間信盛も柴田勝家も失敗した。
城ができる前に美濃の斎藤軍によってやられてしまうのだ。
そこで武家奉公をしたかった秀吉が墨俣に城を築くと申し出た。
金五百貫をもらった秀吉は野武士の蜂須賀正勝(小六)のもとにいって、
協力をとりつけた。野武士も世に出るチャンスだ。
稲葉山城の裏手の山から木を切ってイカダにして河を下り墨俣に城を築いてしまった。
秀吉は墨俣城をまかされることになり、この頃弟の秀長や家族を墨俣城に呼んだようだ。
秀吉は美濃の武将の調略をはじめた。
美濃も斎藤道三から義龍、龍興と続いてきた。
龍興の代になると腰元が50人を超え、奥の人数は200人くらいいたという。
毎日酒浸りで家臣に腰元を与えたりしてたようだ。
だんだん龍興の家臣たちは出仕しなくなり仮病で休むようになった。
そんな折、竹中半兵衛が龍興をいさめるためたった18人で稲葉山城を奪ってしまった。
秀吉が稲葉山城を受け取りにいったが軽く竹中半兵衛にあしらわれてしまった。
竹中半兵衛は龍興をいさめて城を龍興に返して隠棲してしまった。
竹中半兵衛を憎んだ龍興は竹中半兵衛を殺そうとしいた。
頭が良すぎるのも困ったものだ。
秀吉はそんな竹中半兵衛の元を訪れ軍師に迎えた。
龍興の家臣の調略もすすみ後は稲葉山城を落とすのみとなった。
信長は稲葉山城に総攻撃をかけ、秀吉は稲葉山城の裏手から忍び込んで火をつけた。
信長は稲葉山城を手に入れ美濃を岐阜とあらためた。
秀吉も墨俣に城を築いた武将として有名になった。
そんな折、信長の妻濃姫のいとこという明智光秀が信長に士官してきた。
なんでも室町幕府将軍足利義昭をともなってきたようだ。
秀吉の良いライバルとなった。
伊勢で苦戦している滝川一益の援助に秀吉と光秀がおもむき成果をあげた。
秀吉は信長の妹の17才の市姫に懸想してしまった。

2025/12/08 13:22 | 固定リンク | 歴史小説
豊臣秀吉 2
豊臣秀吉 2
「豊臣秀吉 2」 山岡荘八著 講談社 読破

尾張の市場で泣きぬれている針売りがいた。
なんでも身ごもっていた妻をコロされてしまったのだそうな。
秀吉であった。
市場ではさまざまな情報が入ってきて間諜などもいた。
それゆえ情報を得るために信長も市場に来ることが多かった。
ここで秀吉は信長と前田犬千代(利家)とねねと知り合った。
秀吉と利家が会話をしている話を聞いて信長は秀吉に興味をもった。
はじめから秀吉は信長に聞こえるように利家と話をしていたのだった。
今川や武田の情報を話していたようだ。
信長は秀吉に馬屋番をさせることにした。
ちゃんと馬屋番を勤めた秀吉は草履取りをしたりしたが
台所奉行や木材奉行をまかされるようになった。
台所で燃やす木材を半分にしろという命令だったがうまくこなしたようだ。
そのうち駿河の今川義元が上洛戦をしかけてくるという。
台所奉行の秀吉は籠城にみせかけるために味噌買いをした。
奉行になった秀吉は野武士の蜂須賀小六のところへいって協力をとりつけた。
信長と秀吉は祭りがあると繰り出し野武士などに会ったり布をあげたりした。
その布は尾張に今川義元が攻めてきたらそこらじゅうで旗をあげるというものだった。
そして今川義元が今夜は大高城に泊まると聞いた信長はほら貝を吹かせると城を飛び出した。
信長の馬のくつわを取るのは秀吉だった。(この本では)
熱田神社で祈り味方が集まるのを待ち今川義元の本陣を奇襲した。
ちょうど雷雨があったようだ。
尾張の清州の城では濃姫、ねねなどが心配していたが、
今川義元を討ち取った信長が凱旋して帰ってきた。
ねねは秀吉がいないと心配していた。
秀吉は帰りは馬に乗って帰ってきたのがわからなかったのだ。
ねねと秀吉は結婚した。媒酌人は前田犬千代だった。ねね14才。
秀吉はいっそう仕事に励まなければならない。
秀吉は城の石垣が崩れていたのでお城修理の普請奉行をすることになった。

2025/12/07 16:46 | 固定リンク | 歴史小説