国盗り物語 四 織田信長後編
国盗り物語 四 織田信長後編
「国盗り物語 四 織田信長後編」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破

明智光秀は越前の朝倉に士官してそこへ足利義昭をまねいた。
後に浅井の援軍に2万の軍を出した朝倉だったが上洛する気はなかった。
そこへ信長が美濃(岐阜)を取ったという話が伝わってきた。
明智光秀は美濃で育ち信長の妻濃姫のいとこというツテを使ってか
信長に士官してきた。それに足利義昭がついてきた。
信長は近江の浅井にお市を嫁がせてあるので、
速攻で上洛して京を占領してしまった。
三好三人衆は逃げていき松永久秀は降伏してきた。
松永久秀は足利義輝をころし大仏殿を焼いた男だが信長は許した。
足利義昭は信長が築いてくれた二条城に住んで室町幕府将軍になれた。
義昭は信長に副将軍や管領になってくれと頼んだが信長はなにもいらないといった。
信長が欲したのは堺や大津などの街の支配権だけだった。
信長は欲がないなぁと皆言ったが商業に眼をつけていたのは信長だけだった。
信長は上洛してあいさつにこない朝倉を攻めることにした。
しかし浅井に背かれ京に退却した。
浅井朝倉と戦争になり姉川の合戦では信長は徳川家康の援軍もあり勝った。
そして信長は浅井朝倉が逃げ込む比叡山を焼いた。
そしてとうとう武田信玄が上洛戦を起こしてきた。
徳川家康の領内を通っていく、家康は信玄に挑んだが三方ヶ原の戦いで信玄に大敗した。
しかし信玄は病気で亡くなり武田軍は退却した。
信長は信玄や各勢力に信長を討てと指令をだしていた足利義昭を追放した。
室町幕府はここに滅んだ。
信長は朝倉を滅ぼし浅井も滅ぼした。
浅井長政に嫁いでいたお市と3人の娘たちは保護された。
次に脅威となったのが上杉謙信で北陸を柴田勝家、前田利家、佐々成正などで固めた。
そのうち上杉謙信は卒中で亡くなってしまった。
松永久秀は謙信が上洛すると思って謀反を起こしたが討伐された。
荒木村重などの謀反もあり衝撃を受けた。
最後に残ったのは一向一揆の本拠の大阪本願寺だった。
三重や北陸で一向一揆が起き信長は皆ころしで一向一揆を封じ込めた。
大阪本願寺も和議が成立し本願寺は大阪から退くことになった。
後でここに秀吉が大阪城を築くことになるのだが。
近畿は一躍安全地帯となった。
武田勝頼を長篠の戦で鉄砲3千丁を使って倒している。
そして武田勝頼を滅ぼしてしまった。
この時、明智光秀が「われわれも苦労したかいがありましたな」と言い、
信長は「誰が苦労したというのだ。苦労したのはわしじゃ」といって光秀を折檻した。
結構平和になったので信長は家康を上洛させて接待した。
信長が家康の長男と妻をころしたことは書いてなかった。
家康の接待役が明智光秀でこの時家康と光秀の間で何か話があったかもしれない。
この時毛利と戦っていた秀吉から援軍の要請がきた。
光秀は家康の接待の途中で秀吉の援軍に行けといわれる。
また近江・丹後の所領は召し上げられ出雲・岩見の領地を与えられるが敵国だった。
光秀は謀反を決意する。
信長の泊まる本能寺には護衛もほとんどいない。
光秀は「ときは今、あめが下しる五月(さつき)かな」という詩を読んで
1万の兵力を本能寺に向けた。
信長を滅ぼして天下を取ったと思った光秀だったが、
毛利と戦っていたはずの秀吉が圧倒的な速さで京へ戻ってきて
山崎の合戦で光秀を破った。
主ころしの光秀には兵が集まらなかった。
細川藤孝でさえ光秀の味方にはならなかった。
光秀は落ち武者刈りに会い馬上で槍に刺されて死亡したとされている。

2026/04/07 05:45 | 固定リンク | 歴史小説